母はわたしを男の子だと思って生んだ
ママたちの間で、赤ちゃんが、ママを選んで生まれてくるという話。
わたしは正直、「それはどうかしら?」と思っていたし、「そんな胡散臭い話は、信じないぞ!」と、かなり頑なに斜め上からの目線で、この話を右から左へ受け流していたのです。
「信じたい人は信じればいい。でも、わたしは、いいや。」って。
どう考えたって、わたしが母を選んで生まれてきたとは思えなかったし、わざわざ、なぜにこんなにめんどくさい家を選ばなきゃいけなかったのか。
全く理解ができなかったからです。
「わたしは、こんな家になんて生まれてきたくなかった」
それが、本当に本当のわたしの本音だったからです。
わたしは、4月2日生まれなのですが、この誕生日も、実はずっとコンプレックスでした。
ご存知の通り、4月2日は遅生まれのトップバッターです。クラスの、いえ、学年の誰よりも年をとっている。新学期が始まった時には、すでに一つ年をとっているんです。
さらに言えば、春休み中なので、そもそもお誕生会がしにくいのです。
クラス替えがあったり、新学年で、それどころじゃない。
それに、これがわたしの「こんな家に生まれたくなかった!」の根源なのですが、父が転勤族でほぼ1年ごとに転校をしていたから。
赴任日はたいてい4月1日付で、2日の誕生日は、家族でもお誕生会どころではなく、ダンボールに囲まれた中で、友達にもらったお別れの手紙を読んでは、涙で目をいっぱいにしていました。
誕生日の思い出は、そんなものばかりです。
どう考えたって、わたしがこの家を選んで生まれてくるとは思えないのです。
大好きな友達との別れはとても悲しかったし、新入生として通う学校は、校舎もグランドも、薄い灰色としてわたしの目に映っていました。
感情って、色として目にに見えるものなんですね。大人になって、気が付きました。
あの灰色の景色は、私の悲しみの色だった・・・・・・。
そんなわたしが、最近気づいたことがあるんです。
わたしはどうして、この日に生まれてきたのか。
わたしは、普通に産気づいて生まれてきたわけではないんです。
スクスク大きくなっていったのですが、母のお腹は縦にびよーんと膨らんでいました。
お腹が縦に大きくなる。それは、男の子の時に現れる現象だそうで(当時はそう言われたらしいです)親戚中に男子が生まれると思われていました。
それからも、どんどんわたしは大きく育ち、小柄の母が普通には産めないような3700gというビッグベビーに育っていったのです。
ある日、母は先生にこう言われます。
「大きすぎて、普通分娩はできないから、帝王切開でいきましょう。3月31日と4月2日と日付を選ぶことができますが、どうしますか?」
さて、問題です。
私の母は、どちらの日付を選んだでしょう?
あ、すでに、答えはお話してしまいましたね。
そうなんです。
母は帝王切開の日付に、4月2日を選んだのです。
なぜだと思います?
わたしを男の子だと思っていたから。
男の子は、体も弱いし成長も遅い。だから、遅生まれの子供にして、ゆっくり大きく育てよう。そんな親心から、わたしは、ずーっと嫌いだった4月2日生まれになってしまったんです。
両親の愛ゆえに、わたしは、こんな誕生日になってしまった。残念なことに。
今、私には二人の子供がいます。
二人の子供を産んで育てていて、ちょっと、思うことがあるんです。
もしかすると、わたしは4月2日を選んで生まれてきたのだろうか?
- 4月2日に産んでくれる、やさしい母を選んで生まれてきたのだろうか?
- 4月2日に生まれたかったから、どんどん、大きくなったのか。3700gまでに。
- 4月2日生まれたかったから、母のお腹を縦に膨らませて、男の子だと偽装したのか。
人生を振り返ると、一つだけ、4月2日に生まれてきてよかったって思っていることがあるんです。
4月2日に生まれてきたから、出会えた人達がいる。
4月2日に生れていなかったら、あのクラスで、あの友達と出会えなかったし、あの先生にも出会えなかった。
- お別れすることが悲しかった、大切な友達とも出会えてなかった。
- あの彼と付き合うこともなかったし、あの大学にだって入学できなかった。
- あの会社に就職もできなかった。
- あの旦那とも出会えず、結婚もできず・・・・・・この子たちとも、会えなかった。
だから、きっと。いえ、絶対。
この日付を選んで計画的に、生まれてきたはずなんです。自分の意志で!!
今、わたしは、そんな風に思っています。
かなりな、確信犯としてこの世に生まれてきたはずです。
転勤族の父の妻である母を、わざわざ選んで生まれてきました。
生まれてくる前に、かなり計画を立てたはずです。
だって、会わないといけない人がたくさんいたんですもの。
あの人と、あの人と。それから、この人と、あー、あの人も。
みんなと会うために、男の子のふりをして、大きすぎるほどに成長して、4月2日を選んで生まれてきました。転勤族の父の子として生まれなければ、みんなに会えなかったはずなんです。
わたしが試練だと思っていたこと、何もかも、すべてわたしの計画どおりです。
「すぐ、さぼるから、この辺でこんな壁を作っておこう。そうしたら、こんな風にがんばって、その壁ぶち壊して、あの人に出会う道を作るはず。」
「ちいさな障害だったら、簡単にクリアしちゃうから、難しめにしておこう。」
「あ、でも、難しすぎるとやる気が出ないから、ちょっと、抜け道も用意しておこう。」
生まれてくる前のわたしは、用意周到に、綿密に、わたしが楽しく人生のゲームをクリアできるように、たくさんの仕掛けとお楽しみを用意してきました。
わたしは、それにまんまと引っかかって、右往左往してあたふたしながら、生きています。
なんだか、ちょっと、悔しいぞ。
だから。
これできないとか、これ難しすぎるとか。
こんなはずじゃなかったとか。どうして、わたしばっかり・・・・・・・とか。
そんなの、絶対に間違っている。
楽しくて面白くて、やりがいのある人生を送れるように、わたしが、シナリオを書いて生まれてきました。
そのシナリオを叶えてくれる父と母を選んで生まれてきたのです。
今の私なら、胸を張って、そう言うことができます。
きっと、みなさんもそうなんじゃないかなって思うんです。
こうやって、みなさんとお会いできたのも、一緒の時間を過ごすことができるのも、わたしが、母を選んで生まれてきたから。
みなさん自身も、こうやって、このタイミングでわたしと出会えるように、きっちりと策を練って、あなたのお母さんを選んで生まれてきたはずなんです。
- そう考えた方が、わかりやすくないです?
- そう考えた方が、面白くないです?
- そう考えると、つじつまがあってくると思いません?
だから、わたしは、この考え方を採用しました。
わたしは、母を選んで生まれてきました。
嫌でしょうがなかった、4月2日っていう誕生日も、そこを狙って生まれてきました。
これ、どう考えても本当の話なんじゃないかと思うんですよね。
真実じゃないかなって・・・・・・。
信じるか信じないかは、あなた次第なのですけれどね。
この記事を書いた人
西洋占星術師&星カフェいんよう堂店主 emico
プロ活動10年で鑑定歴7500名以上。幼少から難解な西洋占星術を読み解き始め占星術歴41年。
本格活動してすぐに、予約の取れない占い師と言われる。地元札幌北海道のみならず、南は沖縄から本州や海外からも鑑定依頼多数。
働き方・生き方支援のコワーキングSaloon店主も兼務し、西洋占星術を使い本来の自分を知ることで自分を取り戻し、自分らしい生き方を見つけて飛躍した人も多く400名以上に関わる。他にはないと評判で、きめ細かく寄り添い、そっと背中を押すことで、結果につなげている。占いの感想はコチラ→
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